Mambo vipi?

初音ミクのアフリカライブを実現しようとしている人のブログ

死ぬまでにやはり1曲くらいは音楽を作ってみたいと言う話①

完全に私事でしかない話なのですが、この想いはきっと多くの人に共有されるはず。

そう、人生で1度くらいは「曲」ってのを作ってみたいですよね!!

似たようなものとして、「小説」「ゲーム」「漫画」などなど、何か創作物を生み出したいという欲求は万人に共有される欲求なはず。

何かを表現したい、その何かを誰かに受け取って欲しい、それに対するレスポンスが欲しい。

これはもう、人間として生まれた以上は当たり前な感情だと思います。

 

そんなわけでmakotoもずっと、1曲作ってみたいと思っております。

いや、正確にはずっと思っていました。

実はmakotoは凄まじい音痴で、小学校の頃、音楽の時間で笑われてから歌なんてものは大っ嫌いです。

音楽そのものが嫌いになって、リコーダーとかピアニカとか、根元にティッシュを詰めて音が出ないようにして「演奏している振り」をしていたほどです。

それがいよいよ中学になってばれたのですが、音楽の先生もそこは心中察したのでしょう。

思春期の男の子にダメじゃないかと問い詰めても意味はありません。

大体、授業を見てれば私が音痴なのは先生が一番わかるし、それで音楽が嫌いなのもきっと悟ったものかと思います。

その優しさに救われた一方で、みじめさをかみしめてなお一層makotoは音楽嫌いになりました。

 

そうは言っても、実は合唱コンクールで指揮者とかしてました。

音楽は嫌いだし、歌は下手ですが、だからこそかえって人を率いることは知っていました。

音痴な人間が大きな声で歌いながら指揮をすれば、みんな、臆せずに大きな声で歌うことを知っていたのです。

別にみんな、歌うのが嫌いなわけではないのです。

ただ、へたっぴを馬鹿にされるのが怖いし、なんだか自分の弱いところを見せたようで恥ずかしいから歌いたくないのです。

そんなわけで、実際合唱コンクールはうまくいって優勝しました。

ここで、makotoは大事なことを学びました。

「自分は音痴だが、音程を取ることはできるらしい」

「自分の音痴は音程があってないのではなく、音が外れているところにあるらしい」

それでmakotoは、いつかこの音痴を改善できるのではないかと少し希望も抱いたのです。

 

そして時は過ぎ、高校生になりました。

makotoは片道30分を自転車で、雪が降れば2時間徒歩で通うような学校に行きました。

進学校でしたので部活をやる余裕はなく、また貧乏でしたので2年生からはバイトも始めました。

進学のためには勉強しなくてはなりませんが、お金がなければ入学もできませんのでそこは仕方ありません。

あとはPCですね、これはもう必須スキルだと分かってたので、大学に入ったら買おうと思ってお金をためておりました。

 

さて、そんな中、2年生になってある理由からmakotoは合唱部に入りました。

そしてそれから1年ほど、毎日部長さんに音合わせをしてもらうことになります。

ピアノである音を出して、それに合わせた音を発音するというものです。

そこでmakotoは、自分の音痴を痛感しました。

1年経っても、makotoは「ド」の音がどんな音か理解できませんでした。

「これと同じ高さの音を出して」と言われても、その音が理解できないのです。

だから毎日、どの音が「ド」なのかを調整して、そこから他の音を「発見」する作業が必要になりました。

音階はおおむね1段階ずつ、高さが異なるわけですから、「ド」が出せれば「レ」も出せるようになるはず。

しかしmakotoは、この1段階の差も曖昧で、1.5段階くらい高さが違うことがしばしば。

結局、最後の最後まで音程というものは理解できませんでした。

だからmakotoにとって歌は「暗記するもの」でした。

歌詞を暗記するのは当然ですが、どのようなのどの使い方をするのかを一曲分暗記する必要があるのです。

そう、まるで素人が難しいピアノ曲を弾けるようになるとき、理論を無視して体に刻み込ませて弾けるようになろうとするようなものです。

恐らくは先天的な障害で、音階を認識する能力が欠如しているのでしょう。

そうでなければ、1年もすれば音の高さを認識することができるようになると思います。

それでも、毎日練習した成果はあって、数曲は暗記できました。

ただ、そんな塩梅なので新しい歌を歌えるようになるとか、そんなことはまるでなくって、結局その後、30くらいになるまで歌を歌うことは殆んどない人生でした。

 

さて、そうして3年ほど前、教育実習で母校を訪れたときのことです。

将来はバンドをやりたいとか、ドラムを叩いてみたいとか、ボカロが大好きでボカロPになりたいだとか、音楽に惹かれる若者はずいぶん多いことがわかりました。

それならば、私も曲の一つくらい作ったことがあったほうが良かろうと思い、知り合いのゲーム音楽を作っている者にあれこれと作法を聞いてみました。

また、フリーランスの作曲家の知り合いにも聞いてみました。

すると案外、音楽というのは簡単に作れるものだということがわかりました。

①手拍子やハミングでもことは足りる。ただ、キーボードとかがあったほうがより分かりやすくていいとは思う。

②羞恥心が一番の敵。こちらは音楽のプロだから、イメージを歌って聞かせてくれたらくみ取れる。調整もできる。歌おうとしない人からはそれすらできない。

③やっぱり音譜は読めて書けないといけない。でもそれは、「共有」と「記録」のためのもので、自分で歌って覚えることができたならば別に必要ない。

早い話、小難しいことは考えなくても結構だから、自分でフレーズを思い浮かべて鼻歌まじりに歌えるようになりなさいということでした。

ただ、歌詞から先に作る場合は、「音の数」を合わせるのが大事なことだとか。

このあたりのことを踏まえていれば、曲を作ることはできるそうです。

 

そういうわけで、実はその後、今に至るまでふとした時に曲を作ろうとチャレンジしていました。

しかし、結局「コレ」という曲はできず、残骸が中途半端に残るばかりという有様。

最大の困難は何か?

それは、つなぎの部分がうまくできないこと、です。

Aメロ、BメロとCメロとあるわけですが、メロディはどれも若干変化します。

その変化のつなぎ部分がとにかく難しい。

フレーズとフレーズをつなぎ合わせることが至極困難で思いつきません。

そして、気がつけばフレーズそのものを忘れていたり(^▽^;)

 

まぁ、曲は案外簡単に作れると言っても、いい曲が簡単に作れるわけではありません。

納得できる曲が作れるわけでもありません。

なのでこうなるのは当然の話。

ですがそれでも、帰国までの6か月で、何か1曲くらい作ってみたいものだなと思っていたり。

 

そんな考えで歌詞をさらさら書いていると、なんだかできるような気にもなってきたり。

その気持ちを忘れないためにも、こうしてブログで書いてみたというわけ。

 

果たして、曲を生み出されるのだろうか……。