Mambo vipi?

初音ミクのアフリカライブを実現しようとしている人のブログ

Japan Festival in Tanzania という構想

どうも、タンザニアで教師としてボランティアをしています、makotoです。

昨日は夜中2時からお腹が痛くなりまして。

その後、5時過ぎまで3度お手洗いに。

寝れなかったのもあるのですが、そもそも体力消費しますので。

授業があったのですが、ここは無理をせずに昨日今日と自宅待機をしています。

おかげさまで正露丸の予備も尽きました。

これで3瓶……アフリカは日本人の身体に合った世界ではないことがわかりますね( 一一)

それはさておいてですね。

おかげさまで昨日今日と、書類作成が捗ったのは良かったです。

寝てなくていいの( ˘•ω•˘ )

と思われるかもしれませんが、

寝てると蒸して暑くて暑くて"(-""-)"

椅子に座っているほうが涼しいのです。

 

で、どんな書類を作成しているかと言いますと……

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こんな感じの書類でございます。

ジャパンフェスティバル

を開けないかなと思うわけです。

 

タンザニアで生活して1年と3か月。

ミクさんを紹介しようと取り組んで1年と3か月。

教師として教育を通じた開発に貢献して1年と3か月。

 

色々と思う所がありまして、その行きついた結果がこれです。

そもそも、ジャパンフェスティバルって何だよって話もあるのですが。

これは単純に、日本のことを知ってもらうイベントだと捉えてもらってOKです。

そしてこのジャパンフェスティバルの1つの構成要素として、ミクさんに活躍してもらえないかなというのが今の考えです。

 

しばしば考える問題があります。それは、

過去・現在において行われてきたクールジャパンのイベントと私のやろうとしているミクさんを紹介する試みと何が違うか

ということです。

その答えは、

ニーズに応える形で行われるイベントなのかそれともニーズを掘り起こそうとするイベントなのか

ということです。

そして今、自分が解決しようとしているこの問題はきっと、

日本の新しい文化が「日本人に」認められるために解決しなくてはならない問題

だと思っています。

 

そもそも、今でこそ文化の一つとして公が認めている私たちの新しい文化は、外国人が評価してくれているという現実から、その価値を認められるようになりました。

だからかなりの日本人は、

今もやっぱり、オタクはオタクとしてオタクの文化を評価していない

という現実が存在しているわけです。

そうして評価はしていないんだけど、

外国人が評価してるし日本の利益になるんだからいいことだ

と思っていて、漁夫の利だけはもらっておこうという状態で放置されているわけです。

 

クールジャパンという形で、コンテンツ産業は一つの産業として、文化として国家に認められています。

しかしこれは、日本人が新しい文化の価値を認めたから国家に認められたという経緯を持ちません。

文化としての価値があるかどうかはわからないけど儲かる

平成不況の中でパッとしたものが何もない中で明るいニュースだった

から認められたというのが正直なところだと思います。

そうしてオタクの方々も、特に声高に主張して認められたいとは思わないのでしょう。

そもそも、大人になってしまえばあとはやり過ごしたほうが楽ですし。

大体、理解するつもりのない人に説明することほど面倒で不毛なことはない。

そもそも趣味趣向の話ですから、わざわざ共有して誰かと分かり合いたいとは思いません。

でも、思うのですが、

文化って、国に認められたから文化になるわけではない

でしょう。

だから、本来クールジャパンってのは、その活動の一つとして、

クールジャパンを肯定しない日本人に文化としての価値を説明する

試みがなくちゃいけないはずだと思うんですよ。

浮世絵が日本の素晴らしい文化・芸術的な遺産だって主張する人は、浮世絵を愛好する人たちのニーズを満たす一方で、浮世絵を理解しない人たちにその価値や素晴らしさを説明するために浮世絵展を開催する

ものだと思うんですよね。

クールジャパンも同じです、初音ミクだって同じです。

初音ミクが日本の素晴らしい文化の結晶だって主張する人は、初音ミクを愛好する人たちのニーズを満たす一方で、初音ミクを理解しない人たちにその価値や素晴らしさを説明するために初音ミクのイベントを開催する

べきだと思うわけです。

この点について配慮してきた初音ミクのイベントを自分は知りません。

マジカルミライに参加した印象からしても、公式はこの点に配慮していないと思います。

本来はクリプトンがすべきことだとは思うのですが、やらないなら仕方ない。

私がやるというだけの話です。

 

大体からですね、教師としてこのあたりの問題を放っておくわけにもいかないのです。

特に中学生や高校生、思春期の子供のことを思ってみたら分かりやすいです。

仲間ハズレにされると寂しくて自殺しちゃうレベル

仲間ハズレにされるのが怖くて人殺しちゃうレベル

で、周囲の人間と同じであることを考え続けて生きているのが、大半の生徒です。

そういった生徒たちの心情を慮れば、

オタクだというだけで馬鹿にされるような状況を積極的に改善しようとしない理由がどこにも見当たらない

というのが、教育者としての私の見解です。

オタク趣味の子が公然と認められて楽しそうにしてるクラスでいじめは起きない

とすら思っています。

 

あとですね、親御さんも絶対ですね、

うちのオタク息子・娘が何を考えているか一切理解できなくてつらい

とか思ってるに違いないんですよ。

腹を痛めて産んだ子供が意味不明で、愛したいのに素直に愛せない

なんて、お母さんがかわいそうです。

子供もそうしたお母さんの惑いを察することでしょう。

親の愛を素直に信じることができない

ようになってしまうわけですから、かわいそうです。

 

 

だから教師としても、今やろうとしている私の活動は、

日本の新しい文化を生徒や親御さんに説明し理解してもらうことにつながる

と思っていて、価値があるなと感じるわけです。

 

あとは、これもまた教師としてなんですが、

人様に説教をするなんていう偉いことをしなくちゃいけない先生は偉くなくちゃいけない

と思うわけですよ。どんな人が偉いかはまたそれぞれあるでしょうけど、

やるべきことを見つけて言い訳せずに全力で取り組める人は偉い

と私は思っています。

 

まとまったようなまとまってないような話になっちゃいましたね。

でも、これはブログですからね。

こんな感じで、思いついたことを自然に書いていくのがきっと一番良いと思います。